もっとスタイルが良かったら
もっと体が柔らかかったら
もっと痩せてたら
これがうまく出来たら
あの人のように動けたら
もちろん目標を持ってトレーニングをすることはとても素晴らしいこと。
お力になれることも嬉しく思う。
ただその目標は純粋な希望なのか。
それとも欲望なのか。
明暗が別れるのかもしれない。
そうならなければダメだと、結果ばかりに囚われてトレーニングをしてしまうと不思議と成果は半減してしまう。
これはトレーナーとしても私が最も意識をしているところでもある。
それは、不足ばかりを見ることになるから。
不足からの努力は残念ながら同じところをぐるぐる回すことになる。(ジャイロトニックなだけに笑)
何事もだと思いますが、不足があろうが出来ないことがあろうが、何よりも今を心地良く感じる。楽しむ。
この感覚がカラダに大きな影響を与えていると感じる。
こんな風になったらというイメージはビジョンとしてあった方がモチベーションが上がる。ただそれだけのものでいい。
ビジョンがあることで、こう出来ない自分はやっぱりおかしいんだ、ダメなんだ、人より劣っているんだとなってしまってはせっかくの目標とは反対方向に向かってるのと同じ。
20年前の私は、何を隠そうこのタイプでした。
目標を達成しなければ何の意味もない。全て無駄だとすら思っていたかもしれない。
こんなことに気づくようになったのもカラダをみることをし始めたからだと思います。
だから目標はあったらいいけど、なくてもいい。目標が欲望だとしたら、それは苦しみとなるわけで、そんな目標は手放すことにした。
目標があってもなくても、今をどれだけ味わい、何を感じ、その自分をありのままに受け入れるか。そして心地よさを感じるか。
より良くと思うときこそ、それに尽きると思います。
変化する時はグラデーションなので、気づいたら密かに思い描いていた目標の自分がいたりする。
そんなものなのかなとあまりその先を見なくなった自分がいる。
だから楽しい心地良いと感じるものは続けるし、何か違うな、心地良くないなと思うものはやめる。
そんな判断も早くなった。
8年近くおカラダを見させて頂いているお客様に、この1,2年で別人のようにカラダのラインやバランスが変化された方がいる。ご本人も旦那さまもびっくりされてるとのこと。
そして私が1番驚いている。
なぜならその方はスタイルが良くなりたいとか痩せたいとか見た目のことは一度も聞いたことがなく、私もそのためにセッションを組み立てていたわけではなかったし、ビジョンとしてなかったわけで。気づいたら全く別人級になってた。これには思わず、どうしたらこんなに変わるんですか?とお聞きしたくらい。笑
やっぱり日々の積み重ねなんじゃないかな。その時その時愛子ちゃんが教えてくれることと、自分が間違った方でやってるんだって気づいて直さなきゃって思ってやってたら、いろいろ変わっていって、自分はもうこういう体つきだと思って変わらないものだと思ってたからびっくり。と
そして、何よりこの方は毎回、凄い!難しい〜!全然違う!気持ちいい!と心を動かしながらトレーニングを味わってくださる。
この方の意識の仕方の賜物なんだなと。
そういえば、セッション中ってみなさま、子どものように無邪気で、真剣で、自分に夢中。
ダンスを教えていた時もそうだった。
全くリズムも音楽も聞いたことがない何もわからない中学生が1年で舞台に上がって人前でしっかりと全て踊った。その子も同じようなことを言っていたのを思い出す。周りと比べず、卑下することもなくダンスにチャレンジし、きっと自分の成長が楽しかったのだろう。
純粋な希望だったのだろうな。
これってもの凄い自分を生きるポイントかもしれませんね。
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